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2010年7月26日月曜日

人と人を繋ぐ。

私の尊敬している女性で、常に誰かに誰かを紹介して人と人を繋げている方がおられます。
私自身も、色んな方を紹介して頂きました。

ある日私が、

「まるで沢山の電気コードを接続して周囲を明るくする、光のページェントの仕掛人のようですね」

とお話したところ、

「それがまさに私の目指していることなんです。美紀さんも是非、色んな方々を繋いで差し上げて下さい」

と言われました。

それ以来、面白い化学反応が見られそうな方同士や、出身地が同じなど共通点の多い方(海外生活ではこういう方との繋がりが少しでもあると安心出来るのです)を、なるべくお引き合わせするようにしています。

人と人が出会うことで、思わぬ刺激や発想が生まれることがあります。

もしかすると、そこから世の中を動かすような力が生まれることもあるかもしれません。(『龍馬伝』の見過ぎ?)

とにかく、人と人が繋がることで、目に見えないエネルギーが発生するような気がするのです。

暗い話題の多い世の中ですが、そこに少しでも光が点せれば素敵だな〜。


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2010年2月12日金曜日

バイリンガル子育て

バイリンガル教育は、一筋縄ではいかない。
このことは以前にも少し触れましたが、私の身近にいるお母さん達の中にも苦労されている方が沢山おられます。

「バイリンガルを育てるには、幼児期に母国語・第一言語をしっかりと身につけさせることが重要」
と言われるのですが、両親共に日本人である我が家はともかく、
これがバイリンガル家庭(日本人のお母さんと外国人のお父さんのご家庭)のお子さんになった場合、果たしてどうなるのだろう。。。
お父さんの言葉+お母さんの言葉で二カ国語になるのかな?
じゃあ、バイリンガル家庭のお子さんにとっての第一言語って何になるの?
そもそも、母国語・第一言語の概念ってなに?

こんな疑問を抱き、本棚からふと手に取った本
外山滋比古著『頭のよい子はことばで育つ』。

息子を妊娠しアメリカへの移住が決まった時、書店に駆け込んで将来の自分にとって必要となりそうな教育関連の本をとにかく必死になってかき集めたのですが、これはその中の一冊です。

この本がその「答え」を導いてくれた瞬間、思わず目から鱗が落ちました。

母国語とは、
お母さんが赤ちゃんに授乳するのと同じように、赤ちゃんが生まれ落ちた瞬間からお母さんが子供に語りかけている言葉だったのです。
アメリカでは、’ motherlese’ (マザーリーズ)、日本語では、”おかあさんことば’と言い換えられます。

広辞苑を調べてみると、確かに。

「母国語=母語。第一言語。 Mutter sprache(独)幼児期から母親に語りかけられ、自然な状態で習得する言語」

とあります。

「そんなことも知らなかったの?」
と言われてしまいそうなのですが、すみません、知りませんでした。。。

私の周りには、我が子に母語を授けようとする一方で、アメリカ人のお姑さんから
「アメリカに住んでいるのに、どうしてもっと英語をやらせないの!」
と言われ、苦しんでいる日本人のお母さんが結構おられます。
(孫と思うようにコミュニケーションが取れないおばあちゃんの気持ちも解るのですが)

この概念を知らないまま、自信を無くされているお母さん、迷われているお母さん、
必読です。


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2010年1月28日木曜日

スマートフォンって!?


あるママ友達から

「携帯が壊れたので新しいものを買おうと思うのだけれど、美紀ちゃんは何を使っていますか?」

とメールで訊かれた。

「普通の携帯です。私は話せればそれでいいので」

と返すと、

「美紀ちゃんはスマートフォンじゃないんですね!周りの友達から、i phoneいいよ〜と勧められて揺れています」

との答えが。

これを読んだ瞬間、

ス、スマートフォンって、何じゃいっ!?

と、妙にこの呼称が引っ掛かった。
どうやら、i phone やblack berryなど、スケジュール管理やGPS、ネット機能などを兼ね備えた携帯端末のことを言うらしい。

Macユーザーの癖にそんなことも知らんかったんかい!?
と突っ込まれそうだけれど、それにしても、スマートフォン(賢い電話)って。。。

じゃあ、私の携帯は何?
スマートじゃない愚図携帯!?ほっといてくれ!!
私の携帯なんてねぇ、最近になって漸く留守電が機能し始めたんだからねっ!
(設定の仕方がずっと分からなかった、本当はいちいち調べるのも面倒でしようとしなかっただけ。結局、周囲に催促されて’夫に’設定して貰った)

それにしても、一体どこの誰が「スマートフォン」なんて呼び始めたのだろう。
普通の携帯保持者に劣等感を与えるような呼称を勝手に付けるのは止めて欲しい。
その辺の高校生やら大学生あたりが、「スマートフォンじゃない奴は遅れてる」とか「イケてない」とか、またくだらない事を言いだすのだから。

どうせ、どっかのメーカーの誰かさんが普通の携帯ユーザーをスマートフォンユーザーに替えさせる為に名付けたに決まってる。
私はそんな戦略に乗せられんぞっ!

そうかと思えば、今度は「Googleが”スーパーフォン”と称する端末を発表」ですと?
スマートにスーパー、次は何ですか?
ハイパー?ミラクル?

もう付いてかれへんわ。

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2010年1月27日水曜日

嬉しい便り。

「すっかりご無沙汰だけれど、彼女最近どうしてるかな〜。」
ふと独身時代の女友達の顔が頭に浮かんだ次の日。
ポストを空けると、彼女からのエアメールが入っていた。

こういう偶然はよくあるので、最近はあまり驚かなくなった。
でも、起こる度に「嬉しい!」と感じるし、いつも天からの贈り物だと思って感謝するようにしている。

封を切ると、ユニセフのシンプルな鳩のカードが出て来た。
そういえば昔、まだ独身の彼女から突然、

「私、子供が出来てん!」

と告白されたことを思い出した。

「へっ!?」

と固まる私に、

「私が産んだんとちゃうよ!フォスターペアレントっていってね、途上国の子供の里親になって、毎月その子の為に寄付するねん」

と、とても嬉しそうに語ってくれたっけ。

彼女らしいカードだな〜、と彼女の素敵な人柄を感じつつカードを開くと、
筆ペンで踊る様な文字でメッセージが綴られていた。
ひと目見ただけで、今彼女がとても元気で充実していることが分かった。


もう一枚のシノワズリ柄のカードは、もう一人の親友から。
こちらも、昔からセンス抜群の彼女らしさが伝わるカード。
高校時代の手紙交換の時から変わっていない彼女の筆跡に、懐かしさを感じた。


手書きの手紙やカードというのは、まさに心と心のやり取り。
例え離れていても書き手のエネルギーが強烈に伝わってきて、その人が自分のすぐ傍にいるような気持ちになる。
電子メールではそうはいかない。

日本の年賀状文化も、欧米のカード文化も、廃れることのありませんように。。。


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2010年1月20日水曜日

停電が教えてくれたこと。

今日は、大雨による停電から一日が始まりました。

「ママ〜!電気が付かないよぉ〜。冷蔵庫も付いてないし大変!!」
と、朝から大騒ぎのチビ太。

「昔は電気なんてなかったのよ〜。こんな時、蒔ストーブがあればいいのにね。」

などと薪ストーブへの憧れを再燃させつつ、ガスコンロにマッチで火を付け、薄暗いキッチンでお弁当作りを始めました。

デジタル時計の画面も真っ黒だったのですが、
窓の外が徐々に明るくなる様子を見ていると時間の移ろいが自然な形で感じられ、これが意外と心地良かったりして。
これが休日の朝だったら最高だったのに。。。とさえ思ってしまいました。

デジタル時計は正確な時間が瞬時に分かって便利だけれど、これが常に身の回りに設置されていると「時間に追われている」感が増す気がします。

以前はアナウンサーという職業柄、ストップウォッチや秒針の動きに注意を払わなければならなかったのですが、
今思えばあの時の緊張感はとんでもないレベルでした。
元々上がり性の癖に、よくあんな仕事をしていたものです。

あの頃は時間刻みのスケジュール帳を埋めるのが楽しくて仕方がなかったのに、今はカレンダーに空白の日があればある程ホッとする。。。
どちらも私の人生に於いて充実した時間に変わりはないけれど、人間、数年でこんなに変わるものなのだなぁ。

ちょっと待てよ!
「日時計だけで生活」というのも、ある意味幸せな時間の過ごし方なのかもしれない!!
時間の支配から開放され、自然のリズムに身を任せて生きられるなんて素敵じゃない!?

でも、流石にそれは子供のいる今は無理。
老後の楽しみに取っておこう。。。

などと、今日は停電の御陰で「豊かな時間の過ごし方」について一考することが出来ました。


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2010年1月5日火曜日

目指すはサバイバル主婦。

夏に植えたジャガイモが立派に成長しました。

台所で残ったジャガイモの芽が伸びてきたら畑に埋める。。。を繰り返し、ジャガイモ自給率アップを試みているところ。
本当は米の自給率を上げたいところなのですが、脱穀機や種もみが入手困難ということで断念。
炭水化物系の中でも、まずは育て易そうなジャガイモから挑む事にしました。
昔小学校の理科で種いもから観察日記をつけたことを思い出して。。。

お腹の膨らむ炭水化物系を育てていると、なんとなく安心するんです。
こんなことを言ったら笑われるかもしれませんが、災害や食糧難など、いざという時の非常食にもなる訳ですから。

私は「食べられない時代」を経験したことがありませんが、
小学校の時あるおばあさんから聞いた
「戦争中は食べるものがないから、皆自分の家でお芋を育てていたのよ。サツマイモは蔓も食べられるって知ってる?」
という言葉が今でも強く印象に残っています。

今は平和でお金を出せば何でも買える便利な時代。
その反面、お金を稼がなくては食べられない/生きられない時代。
お金に支配されている時代です。

これでもしハイパーインフレが起きて貨幣価値が殆どなくなったら、一体どうなってしまうのか。
この国に住みながら今のドルの動きをみていると、そのような恐れも抱かざるを得ないような状況です。

お金は価値ある今は大切なものだけれど、一旦価値を失えばただの紙や金属。
お金そのものを食べることは出来ません。
お金は「物を買うための道具」に過ぎないのです。

今はまだ自給自足には程遠いレベルだけれど、野菜の作り方を今のうちから勉強して「生きる力」を養っておくだけでも
心の備えになるかもしれない。

実は、そんな思いもあって続けている家庭菜園。
ところが不思議なことに、これが気休めレベルでも思いの外「幸福感」が得られているのです。

「食べ物を生み出す喜び」を感じていると、お金による支配から精神的に開放される気がするのです。
これも自然の成せる業なのかもしれません。


なんだか、新年早々このような話をするのも如何なものかと思ったのですが、
「あり得ないことがあり得る」このご時世。

「一体どうしちゃったの?」
と言われてしまいそうですが、私の頭の中を綴ってみました。

あれこれ考えることはあるけれど、
家族が健康でいられるだけでも有り難いこと。

「生きてるだけで丸儲け」
をモットーに、主婦なりに知恵を絞ってみることにします。


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2009年12月17日木曜日

友情と尊敬

昨日、日本への帰国が決まったママ友達Mさんの送別お茶会が催され、仲良し数人で集まった時のこと。

参加予定メンバーの一人Yさんのお子さんが体調を崩され、残念ながらこの日は欠席されました。

出発を次の日に控えたMさんと、残りの仲間で別れを惜しみつつ会が終盤を迎えた頃、

「この後ちょっと寄りたいところがあるので、そろそろ失礼します」
とMさん。

出発は明日だし、最後のお買い物などできっとお忙しいのだろうな。。。
と思っていました。

ところが。

今日欠席者のYさんからのメールで、Mさんがあの後Yさんの家へ最後のご挨拶に行かれていたことを知ることに。

なんて律儀で思いやりのある人なのだろう。
本当に最後の最後まで素敵な方だった。。。と、一層寂しさがこみ上げてきました。

私よりも年上のママ友達Mさんは、品があって優しくて、常に気配りを絶やさない女性。
これ迄もずっと、人が見ていないところでさりげない気配りをされる方でした。

憧れても憧れても私には多分一生なれない存在だけれど、Mさんと出逢えて本当に幸せ。
離ればなれになっても、この人とはずっと繋がっていたい。。。
心からそう思います。

そんな折、ふと手にした曽野綾子さんの本の中に
「友情の基本は尊敬であり、”あの人には自分にない素晴らしいところがある”と思うことだ」
という一節が出て来ました。

今、まさにその通りの心境。

私には他にも尊敬している友人が沢山いますが、そうした人達から多くを習いたいと思います。



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2009年10月14日水曜日

インド人と待ち合わせ。

「インド人は時間にルーズだ」
こんなことを何度か聞いたことがあったのですが、まさか自分がそれを裏付ける体験をすることになるとは思ってもみませんでした。

最近、ひょんなきっかけでインド人のお婆さん(テレサ)と娘さん(ルイーズ)、お孫さん(ティファニー)の3人組とお友達になりました。
テレサお婆さん(恐らく80歳以上)は、いつも低い声と強い口調で私に説教をしてくる、ちょっと凄みのあるタイプ。
例えるなら、映画『天空の城ラピュタ』に出て来た海賊のおばさん。
お婆さんが言葉を発する度に私の中に緊張が走るのですが、私を自分の娘のように可愛がって抱きしめてくれる、実はとても優しい人。

ルイーズは見るからにマダムな雰囲気で、刺激的な情報を提供してくれる人。
大学生のティファニーは、人懐っこくて子供好き。いつも子供達の相手をしてくれます。

3人ともとてもいい人達で、彼女達と過ごす時間は楽しいのですが。。。

「明日3時に同じ場所で会おう」と3人に言われ、次の日予定の時間に行ってもなかなか現れず。
遅れるようであればきっとそのうち電話をくれる筈だと、愚図るチビ子におやつを与えつつ待つ事1時間。

業を煮やして電話をしてみると、開口一番に
「今どこだ?」とテレサ。

てっきり近くにいるものだと思って辺りを見回しても見当たらない。

「私はもう昨日と同じ場所に着いているんですけど、どこにおられますか?」
と聞いてみると、

「明日にしよう」

「エェ〜!!もう1時間待ってるんですけど!昨日同じ時間にこの場所でって言ってたじゃないですか!」

「わかった、泣くな!(泣いてないって!)今から行くから、そこを動くんじゃないよ」
とテレサお婆さん。

現れたのはこの電話から1時間後。
合計2時間待ち。
でも、私を待たせたことに対しては何の言葉もなし。

(あの噂は本当だったんだ。。。ま、お婆さんだし仕方ないっか)と思いつつ談笑を終え、その別れ際。

「じゃ、次はいつ会う?明日はどう?」
とティファニー。

「私は大丈夫だけど、次は何時にどこに行けばいい?」と私。

「また電話する!」とテレサ。

「何時にどこか、今ハッキリ決めた方がいい!」
と車の運転席から割って入ったのは、メキシコ人の使用人さん(何故か会う度に人が変わる)。

「じゃ、12時に◯◯ショッピングセンターね!」とティファニー。


次の日の11時。広大なショッピングセンター内のどこで待っていればいいのか確認すべく、テレサに電話をする。

「今どこだ?」

「今車で家を出るところなんですけど、ショッピングセンターのどの辺りに行けばいいですか?」

「わかった。もうすぐ出る」 プツッ!!(電話を切る)

(答えになってないし!)

取り敢えずショッピングセンターへ行ってみる私。
すると丁度向こうから3人の車が!!

この日は12時丁度に落ち合うことが出来、
(な〜んだ。予定時間通りに来れるんじゃん!!やっぱり勝手に人を決めつけちゃいけない)
と少し反省しつつランチを取りながら歓談。
最後にデザートとお茶を楽しんでいたその時、
「次は月曜日に◯◯の本屋で3時に会いましょう」とルイーズ。

「分かりました。月曜日の3時ですね」

(今日は無事会えたことだし、次もきっと無事会えるはず)
と、たかをくくっていました。

ところが!


月曜日。
昼寝をしていないチビ子を車の中で寝かしつけようと早めに家を出て、予定時間に到着。
眠りに就いたチビ子をそっとストローラーに移して本屋の中へ。

キッズスペースでチビ太を遊ばせつつ、彼女達にあげようと折り鶴を折っていました。
時折店内を回って彼女達が来ていないか確認していたのですが、なかなか彼女達の姿を確認出来ないまま1時間が経過。

テレサに電話を掛けてみると、またまた開口一番に

「今どこだ?」

「ずっと本屋で待ってるんですけど、今どちらですか?」

「今日は行けないから明日会おう」

「ち、ちょっと待って下さい!ルイーズが今日の3時にここでって言ってたじゃないですか!ルイーズかティファニーに代わって下さい!」

「ティファニーは今日は学校で、ルイーズもいない。今別の町にいるから今日は会えない。明日は会えないの?」

「ごめんなさい、明日は予定があるので。それではまた」


っとまあ、こんな調子なのです。

流石にこの日は家に帰り、
やっぱりあの噂は本当だったのか。。。と納得。
大体、毎回自分達から誘っておいて現れないってどういうことなんだ!?
この一週間、私振り回されっ放しじゃん。。。
確か日本人の友達Sさんも、「結婚式にインド人を呼ぶ際、予め開始時刻の1時間前を伝えたら丁度式の開始時間に現れた」と言ってたっけ。

ちょっとした憤りを覚えつつも、インド人のこの性質について調べてみることに。

まず、日本人とインド人は時間の概念というものが全く異なるとのこと。
先々の予定を立ててその通りに行動する日本人に対して、「今やるべきこと」を重視するインド人。
(何故彼女達が毎回別れ際に次の予定を決め、それを平気ですっぽかすのかは謎)

インフラの整った日本は電車もバスも予定通りに到着し、予定通りに事が進み易いのに対して、インフラの整っていないインドは、予定通りに行かないことの方が多い。
この環境の差がどうやら影響しているようです。

シリコンバレーで働くインド人ビジネスマンは大抵時間が守れ優秀な人も多いようなのですが、どうやらインドではビジネスマンでも平気で遅刻して来たりするのだとか。

まあ、日本人は世界一時間に正確なことで有名な位ですから、「自分達の性質が当たり前だ」という感覚のままでは異国の人々とのお付き合いは難しいのかもしれません。

折角友達になれたのに、相手の性質を理解出来ないせいで友達の幅が狭まるのは勿体ない。
取り敢えず、彼女達に会う際は目的地への所要時間を考慮しつつ30分か1時間前に要電話。
ここは相手の性質を知った上で、Sさんのように付き合い方を工夫してみることにしてみます。

それにしても、インドって手帳や腕時計の売れ行き悪そう。。。
携帯電話のない時代のデートの待ち合わせとか、さぞかしドラマティックなことになってたんだろうな。。。

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2009年9月10日木曜日

『揺るがない。』後付け②

その後も『揺るがない』の記事への応援メールを頂き、素敵なお言葉を頂戴しました。
「この言葉は私だけのものにしていてはいけない!」と思った箇所を、一部抜粋してご紹介させて頂きます。


Hさんより

私が子育てに迷ったときに読むコメントです。
この通りだと思います。

「大切なことは、親は自然に振るまい、
 自信ある態度と愛情を持って子供と触れ合うのがいちばん良い。
 親があらゆる美徳を兼ね備えるのは不可能であり、その必要もない。
 ただ、子供に親しみ、親切で優しく 基本的に子供を認め、
 愛していることを、日々の接触の中で子供に伝えることが大切である」




Iさんより

私自身、子供はいませんが、帰国後幼児教育の現場で働いていました。
その教室でお母様方にいつも伝えていた、
心の子育ての大切な6つのポイントを書いておきます。

・短所をみない
 (子供のちょっとした成長を喜ぶ、感動する。良いところをみれば短所は消える)

・今の姿をできあがった姿と見ない、過程とみること。
 (あとすこしすれば出来るようになると思う)

・完全主義はだめ。
 (親が子育てに基準をつくると、マイナス点しか見えない)

・比較しない
  
・学力中心で育てない
 
・今のお子さんをそのまま100点と見ることを学ぶ



Hさん、Iさん、
本当にどうも有り難うございました!

2009年9月8日火曜日

『揺るがない。』 後付け


前回の『揺るがない。』投稿後、友人よりメッセージを貰ったので転載させて頂きます。


美紀ちゃんがアメリカでお子さんを日本人として
一生懸命育ててるっていうのを知ってすごく嬉しくなりました。
異国地の地で母国の文化や歴史などを教えることは
大変なことも色々とあるとは思うけれど素晴らしいことだと思うので
頑張って欲しいなと思います。

(中略)

でも1つだけ。
美紀ちゃん頑張り過ぎないでね。
今日のブログ読んで理由はないけどなんとなく大丈夫かなって思ったので。
ちょっとくらい迷ったりしたっていいと思うよ。
子供って分かってなさそうでちゃんと分かってるし。
ママが今揺らいでるのは自分のために本当にそれでいいのか
考えてくれてるからだっていうのがちゃんと伝わると思うから


(転載終了)

私もちょっと頑なになりすぎることがあるので、本当に有難いメッセージです。

実は投稿後に自分で読み返してみて、
「自信のない母親にはきっと子供も付いてこない」
という下りはやっぱり違うかな。。。と引っ掛かっていたところだったので、このメッセージを貰って正直ホッとしました。
怒り気味の肩に手をそっと置いて貰った気分です。

確かに、語学教育に限らず子供を育てていく上で
「これで本当に良いのだろうか」という迷いは常に生じるもの。
最善の方法を求めて、手探りで悩みながら親も成長していくものなのだと気付かされました。


ちなみに、前回の『武士道に触れる』の投稿では「サンフランシスコで近々日本の和太鼓の公演が行われる」という、こちらもまた有難い情報を頂きました。
ブログを通じて様々な方からメッセージを頂く度に勇気付けられ、ブログを続けていて良かった!と感じています。
本当に有難うございます!!
そして、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

2009年9月7日月曜日

揺るがない。


たまに日本に帰ると、
「子供がバイリンガルになっていいわね。もう英語ペラペラだったりするんでしょ」
とよく言われます。

答えは、、、いいえ。

チビ太は4歳になりますが、まだ日本語しか喋れません。
公園でお友達に英語で話し掛けられても日本語で返す図々しい奴です。

ところが、そうなると御親切にも
「そろそろ英語をやらせた方がいいんじゃないの?」
と心配してくれる方も出て来たりします。(身内です)

でも、私はハッキリこう答えます。
「この子にはまず母国語をしっかりと身に付けさせる方針です」
と。

周りには既に英語と日本語を巧みに使い分けるお子さん(特にバイリンガル家庭のお子さん)もいらっしゃいます。
小さい頃から熱心に英語教育を始められておられる親御さんは、日本にも沢山おられることでしょう。

それでも、私は正直焦っていません。
うちは夫も私も日本人。
こちらでの生活が長くなりそうなので、むしろ日本語をちゃんとキープ出来るかどうかの方が心配です。

実際、こちらで子育てをされている日本人の親御さんからは
「現地の幼稚園や小学校に通わせるなり、英語が強くなってしまった」
という話はよく聞きますし、特に兄弟がいると家の中でも兄弟で英語を話すようになってしまう傾向があるようです。
(私の夫と妹も小学校迄アメリカで育ちで、そうなりかけていたようです)

私は、ただ英語がペラペラ喋れる人が真の国際人だとは思っていません。
日本人として、日本の文化や歴史、政治について海外の人から聞かれて語れるものが何もないと意味がない。
まず自分の中に語りたいこと、伝えたいことがあることが、言語を学ぶ上での最高の原動力となるー。
と考えています。

〜ここからは私のひとりごと〜

私は決して揺るがない。

今我が子に日本人の魂を吹き込めるのは、母親である自分しかいない。(夫は時間的に難しいので)
だから、私も常に日本について学ばなければならない。

我が子とよその子を比べて焦って子供より先回りして「あれこれやらせなくては」と心配しても、きっと子供は疲れるだけだろう。
(私がそうだったから)
私は私。うちの子はうちの子。

子供が自ら興味を抱き、動きだすのをのを辛抱強く待つ。
食いついて来た瞬間を絶対に逃さず、そこでうまく導けるよう準備しておく。
我が子に今本当に何が必要かを自分の判断で見極める。

自信のない上司に部下が付いて来ないのと同じで、自信のない母親にきっと子供は付いて来ない。
強い信念を持ち、私自身も常に学んで自信を付け、我が子を信じてさえいれば、きっと子供は付いて来てくれるだろう。